筆者の私が離婚した理由。
私、筆者は現在37歳です。4歳と6歳の娘がいる、平凡な主婦です。
今の主人とは私が29歳の時に結婚しました。相手は13歳年上の、今年50歳になる男性です。
今回の結婚は初めてではなく、二度目の結婚です。私には離婚歴があります。
最初の結婚は25歳の時でした。相手は同い年の男性です。25歳といえば、一般的には大学を卒業して社会人3年目。やっと仕事にも慣れて、これからますます仕事とプライベートが充実してくる時です。
筆者の私自身は20歳の時に短大を卒業、社会人5年目で、ある程度仕事にも余裕が生まれ、また、20代半ばというのもあり、そろそろ結婚を意識する年齢でした。
しかし、相手の男性は社会人3年目で中途半端ということもあり、結婚を渋っていました。
交際して1年半でしたが、元々が中学時代の同級生ということもあり、知り合ってからの年数は10年以上ありました。(小学校も同じです。中学2年の1ヶ月だけ、お付き合いをしたこともあります)
半ば、私にゴリ押しされた感じでの結婚となりましたが、結婚してからも数カ月は新婚生活は充実したものになりました。
しかし、結婚して半年が過ぎたころから、お互いの生活に少しずつすれ違いが発生するようになりました。
筆者の私が離婚した原因

- 半単身赴任生活ですれ違い生活が続く
- 結婚して子づくりを開始1年経過したが、子供ができない
- 義理両親の孫への執着が酷い
1つ1つ順番に説明させていただきますね。
1. 出張が多くすれ違い生活が続く
元夫の仕事は営業職でした。
結婚した当初は、地元の会社に勤務で、朝は早く家を出て帰りも遅い帰宅でしたが、毎日家に帰ってくるので、特段、淋しいという感情はありませんでした。
しかし、結婚して半年後勤続4年目に入った時、隣の県の支店に配属になってしまいました。
元夫は会社からはワンルームのアパートを用意していただき、平日はそちらで過ごすことになりました。
月曜日の朝に自宅を出て、車で1時間半かけて隣の県の支店に出勤。
金曜日の業務終了後に、車で1時間半かけて自宅に帰ってくる元夫でした。
結婚してまだ半年で、いきなり単身赴任のすれ違い生活ということで、まだ子供のいなかった私には、ただただ、淋しいものでした。
このすれ違い生活が後の離婚理由の大きな点だと思われます。
最初から単身赴任の人というのがわかっていれば、結婚する際に一歩立ち止まり、自分の淋しがり屋な性格でも耐えていけるかを考えたかもしれませんが、いきなりの単身赴任でしたので、気持ちの切り替えができませんでした。
2. 結婚して子づくりを開始1年経過したが、子供ができない
上記のようにすれ違い生活が続くと、おのずと子づくりをする機会が減ってきてしまいます。
私の周りでは、20代前半で出産する人が何人かおり、自分自身も子供が好きで結婚したならば、速めに子供が欲しいと思っていました。
しかし、元夫の単身赴任前までは、授かることができませんでした。
その後は単身赴任生活が始まってしまい、月に一度妊娠しやすい時期がきても、元夫が家に居ない期間であったりなどで、タイミングがなかなかとれなくなりました。
籍を入れる前結婚式を挙げる前に妊娠しては困ると思って、慎重に避妊していた私たち夫婦でしたが、式の後避妊をせず、自然に任せれば簡単に妊娠すると思っていました。
それが、式を挙げて1年が経過しても一向に妊娠しないのです。
焦れば焦るほど、妊娠のことを考えれば考えるほど、気持ちは追いつかず毎月の生理が来るとトイレで泣いていました。
1年経っても妊娠しないので不妊を疑い、不妊専門外来にかかるようになりました。
そこで一通りの検査をし私自身が排卵障害があること、元夫にはまったく問題はないが、タイミングを取る際に不在の為他の夫婦よりも自然妊娠は難しいという判断がくだされました。
まさか自分の体に問題があるとは思ってもいなかったので、その言葉で更に泣き私と同様に自分の子供を望んでいる元夫は私の排卵障害を責めるようになり、結婚1年3か月後には夫婦関係は破たんへと進んでいくのでした。
3. 義理両親の孫への想いと甥っ子の存在
私同様に、もしくは私以上に子供の誕生を待っていたのが元夫の両親でした。
元夫には私たちと1学年下に妹が居り、私と元夫が結婚の準備期間中に、交際中の彼氏との子を妊娠し、急遽入籍・披露宴を挙げていました。
予定外なこと(順番的に私たち夫婦が結婚した後に妹は結婚式を挙げる予定)が起こり、しかも妊娠中。
いわゆるできちゃった結婚です。
しかし、元義理の妹は、立場上は相手の家に嫁に行ったことになり、義理の両親からしたら、自分の苗字をついだ孫が早く欲しいという気持ちがあったようです。
外孫の誕生、私と元夫が正式に夫婦になったことで、内孫に期待するようになり、何かにつけて元夫や私に対し、
「こどもはまだ作らないのか?」
と尋ねてくるようになりました。
私は自分の排卵障害のことや不妊外来に通院していることは敢えて義理両親には伝えていませんでした。
自然に任せていればそのうち、妊娠できると思っていたからです。
しかし、結婚して1年経っての嬉しい報告ができないこと、また元夫の平日不在に対する淋しい気持ち、そして一番の決定打が義理両親の内孫への執着と外孫を異常に可愛がる姿を見るうちに、今までに感じたことのない疎外感や孤独感を味わうようになりました。

元義理の妹夫婦や私たち夫婦は、義理家の近くにそれぞれ住んでおり、毎週日曜日の夜は義母が手料理を振る舞ってくれるということで、義理の家に集合でした。
私たちが結婚して1年経ち本格的に不妊に悩んでいた頃、甥っこ(義理妹の子供)は1歳2か月ほど。
ちょうど歩けるようになり、義父の甥っ子への愛情は更に増していました。
今にして思えば、私自身が心が狭すぎたのが原因ではありますが、義父が甥っ子に「この人(私のこと)、オバチャンだよ」と言って教える、その姿に憤りを感じていました。
血縁上はその通りなのですが不妊で悩んでいる私に、露骨にオバチャン呼ばわりをさせたことが私の気持ちを傷つけました。
義母や義理妹は「おねえちゃん」と呼んでくれていました。
まだ25歳だったこともあり、その呼び名と甥っ子への執着心が私を追い込み結婚して1年半が経つ前には義理家での食事会も参加せず、義父に対しては嫌悪感しか感じなくなってしまいました。
私が義家に行かないことで、元夫は義父から責められ、その感情を私にぶつけるようになり、結婚して1年8か月で初めて大きな夫婦喧嘩が勃発しました。
私も元夫も元義父も思う想いは同じことのはずでした。
私と元夫にしたら自分の子供を・元義父にしたら自分と同じ苗字の孫を欲しいということだけなのに、その想いが強すぎて、修復不可能になってしまいました。
更に、私が離婚の決定打となったのは元夫の心無い一言でした。
「子供ができないのはお前のせいだ」
確かにその通りではあったので、何も言い返すことはできませんでした。
私が排卵障害があったこと、そして10数年前、14歳の時に元夫と初めて交際をし1か月で別れたあと、私は高校に入学してから人並の男女の交際を経験しました。
それとは引き合えに、あまり容姿もよくなかった元夫は、誰とも交際をすることなく高校生活大学生活を同性の友人と過ごしており、私と再会して交際を再開させたとき、恋愛経験はゼロでした。
後にも先にも、お付き合いをした女性は私だけということになります。
その部分で、自分は誠実だとばかり偉ぶりだした元夫の態度に、私は今後の夫婦生活続行は難しいと下しました。
「お前は高校、短大と男とばかり遊んでいたから、今妊娠できないんだ」
この一言を言われた次の日、私は今まで耐えていた我慢の限界に達し、市役所で離婚届をもらいに行き、そのまま実家に帰り実母にすべてを話しました。
実母はただ泣いているだけでした。
そしてその離婚届に必要事項を記入し、実父の署名もかいてもらい、実父に元夫の実家へ離婚届を持って行ってもらいました。
元義父母は元夫から私が家を出たこと、私が不妊気味で病院に通っていたことを聞かされ、自分たちが私に対して執った行動を反省しました。
元夫も実父に何度も謝罪をしましたが私自身の気持ちが揺るがなかったことや、実父自身も今回のことで娘を傷つけたということもありかなり腹を立てていて、修復不可能・離婚届に元夫の記入とハンコを押させたうえで、私と実父で役所に離婚届を提出しました。
そして、全てが白紙に戻りました。
元夫と過ごしたアパートには思い出の品や、私の貯金をはたいて購入した家電製品などもありましたが、金輪際元夫と関わりたくはなかったので、潔く諦めました。
幸いにも子供がいなかったこと、そして大した財産も残っていなかったこともあり、離婚後1度たりとも顔を合わせることはありませんでした。
中学の同級生ということで、地元が同じで、お互いの実家も自転車でいける範囲でいつ元夫に会うか、はらはらしていましたが、離婚がきっかけかは定かではありませんが、元夫は隣の県で完全に生活をする生活になっており、会うことはありませんでした。
(後日談 共通の友人より)
離婚から反省して再婚に生かした点3選

- 相手に依存ばかりせず、自分ひとりの時間や同性の友達と過ごす時間を作る
- お金を貯めて、将来の為にとっておく
- 妊娠しやすい体づくりをする
入籍して2年足らずで離婚を経験しました。世間一般でいうところの、人生での失敗者 汚点がついてしまったわけです。
しかし、バツイチになったからといって、幸せな結婚生活を諦めたわけではありません。
世の中にはたくさんの男性がいるわけで、たまたま元夫や義理の家族と性格が合わなかっただけ、もっと他に相性のいい人がきっといる、と思い、27歳という若さもあり、まだ見ぬ新しい男性との出会いに胸を膨らませていました。
それと同時に、今回の離婚では何がダメだったのかを冷静に振り返ってみて、次、もしまた結婚できた時に、同じ失敗をしないようにと反省点を考えてみました。
1相手に依存ばかりせず、自分ひとりの時間や同性の友達と過ごす時間を作る
結婚生活の時は、第一優先は夫であり、夫がいる時は早く帰り食事の用意をし、休みの日も、夫が家に居れば一緒に過ごすというのが当たり前の生活でした。
私が結婚したのは25歳で、同性の友達も結婚している人もいれば、独身で仕事や趣味に謳歌している人もいました。
私が結婚し、家庭第一にしていたのもあり、結婚前の同性の友達と会う機会がめっきり減ってしまいました。
離婚した時には連絡を取り合う同性の友達は5人くらいになっていました。
夜の会食や日曜日のお誘いも、全て断ってばかりいたので、「人付き合いの悪い人」というレッテルを貼られてしまいました。
そこで、離婚して独り身になったのもあり、自分の時間を有意義に使うことがを意識するようになりました。
金曜日の夜は、なるべく友人と過ごし情報共有をしたり、スポーツジムで体を鍛えたりしました。
結婚生活では狭い視野でしか物事を判断できていませんでしたが、一人の時間を楽しむことにより、より広い範囲で物事をみることができました。
それと同時に交友関係も広がり、金曜日の夜の一人活動で出会ったのが、後に再婚相手となる今の夫でした。
2.お金を貯めて、将来の為にとっておく

結婚していた時も、独身時代と同様の平日はフルタイムでOLをしていました。
結婚式の際に独身時代の貯金を使ってしまったのもあり、新婚直後は私個人の貯金はほぼありませんでした。
結婚生活でも何かとお金がかかり、また、夫婦で時間を過ごす際も私の給料から使っていく感じで、お金があまり貯まりませんでした。
それと同時に、不妊治療にもお金がかかるようになりました。
治療の結果もむなしく離婚したわけで、そのあとは、自分の為だけにお金を使い結婚前の貯金額に戻せるよう、がむしゃらにお金を貯めました。
その貯めたお金は、とりあえず、10年くらいは手をつけない口座にとっておきました。
3.妊娠しやすい体づくりをする
離婚原因が子供ができなかったことですが、子供を諦めたわけではありません。
せっかく女性に生まれたわけですから、自分の赤ちゃんを抱っこしたいというのは女性なら誰でも願うものだと思うのです。
いつの日か幸せな再婚をして、妊娠するのが夢。
その夢の為に妊娠しやすい体作りを行いました。
夏でも長袖がないと過ごせなかった私はかなりの冷え症です。
冷えは妊娠の大敵ということで、冷えをとること冷えにくくすることを実践しました。
金曜日の夜の一人時間を使いホットヨガにも通い、不妊外来では体質改善として薬を使っても行いました。
この行動がよかったのか、不妊に悩んでいたのがウソのように再婚後はスムーズに妊娠することができました。
離婚してよかった点3選

- 不妊へのストレスからの解消(義理親の執着から解放される)
- 後から結婚した友人の妊娠出産を心から喜べる
- ある程度お金に余裕ができるので、未婚の同性友人と旅行に行ける
元夫と離婚をしてからも実家には戻らず、自分の収入の範囲で住める賃貸アパートに引っ越していたので、時間にも余裕ができひとりの時間も同性の友人と過ごす時間も、有意義に過ごすことができるようになっていました。
いろいろな縛りから解放され身も心も自由になると、日を重ねるごとに離婚というマイナスな印象よりも自分らしく生きる!
というプラスな印象が強くなり、いつしか離婚したことへの後悔というのが消えてスッキリした自分で居られるようになっていました。
1.不妊へのストレスからの解消(義理親の執着から解放される)
結婚生活の終盤の方で圧し掛かかってきたのは不妊に対するストレスと、義理親の執拗な執着でした。
毎日、起床時に基礎体温を測りタイミングを計算するも、平日であれば元夫が不在なので、どうすることもできずにただ泣くしかない。
タイミングが合いそうであれば、病院に行き、排卵した卵が成長しやすくする為の注射を打ったり薬で誘発させる。
普通であれば、自然に任せてできる妊娠準備も、私は医療行為に頼らなければいけなかったので、その点で大きなストレスになりました。
それに加えての義理両親からの内孫への期待です。離婚後は、そのストレスから解放されたのが一番大きかったです。
2.後から結婚した友人の妊娠出産を心から喜べる

結婚した当時は25歳でしたので仲のいい友人たちの間では、私が1番最初に結婚していました。
その後、立て続けに友人たちが結婚していき、グループ内ではお祝いムード一色でした。
中には婚姻届を提出する前に妊娠した友人もおり、最初は素直にWおめでたを喜べる自分がいました。
しかし、こちらが結婚して1年経過しても一向に妊娠の兆候がないのに、後から結婚した友人たちが次々に妊娠の報告をしてくるのを、聞くうちに徐々に心の底から祝福することにできない自分がいました。
出産して、友人たちと赤ちゃんを見に行くのも行きたくないという捻くれた気持ちになり、その態度は友人たちにも気づかれるようになると、妊娠報告自体がされたくもなってしまいました。
しかし、私が離婚をし、自分自身の妊娠への執着心が消えたことにより、友人のおめでた報告も心から祝えるようになりました。
3. ある程度時間に余裕ができるので友達と旅行に行ける
結婚生活の2年弱は、私の給料は普段の生活費や不妊治療の通院費などに消え、まとまった貯金ができていませんでした。
離婚し一人身になったこと、また、実家から近くに住んでいたので夕食を実家で食べるなどし、なるべく普段の自分の生活にお金をかけないようにしていました。
そうすると、ある程度の出費でも生活できるようになり、貯金ができるようになりました。
結婚していた時は旅行にいくにも元夫と行かねばならず、2人分の出費になり、旅行自体の回数を減らしていましたが、1人になると気の合う未婚の同性友達と近場の温泉へ一泊旅行などを楽しむ余裕がでてきました。
温泉に浸かって、のんびりしておいしい料理を食べて、夜遅くまで同じ部屋でお喋りをする…とても充実していました。離婚した27歳から再婚する29歳までは、温泉三昧だったと言っても過言ではありません。
再婚して幸せになる為に心掛けた点4選

離婚して1年半が過ぎたころに、前出の「金曜日の夜の自由行動」でよく顔を出していた、ショットバーで今の夫と知り合いになりました。
私がそのショットバーに行くきっかけは、同性の職場の後輩が行きつけの店ということで行きはじめました。
カウンターの席で後輩とマスターとお酒を飲んでいたら、たびたび今の夫が1人で店に来ていることに気が付きました。
今の夫はマスターとも仲が良く3回くらい店に行った後、マスターを通して今の夫と気軽に話せるようになり連絡先を交換する間柄になりました。
今の夫は、私よりも1回り年上の「大人の男」という感じでした。
前の夫が私と同い年なこともあり、それとは比べ物にならないくらいの落ち着きと、知識と経験が豊富で、会うたびに私は彼の大人の魅力に引きづりこまれていきました。
私のバツイチという汚点も、夫も同じくバツイチということで特に気にすることもなく、気づけば知り合って半年で、私のアパートに一緒に住み同棲生活をすることになったのです。
一緒に住んでいるなら、いっそ籍をいれてしまおうということで入籍をしました。
お互いバツイチということで結婚式や披露宴はせず、両親同士の顔合わせのみでしたので、気を張ることもなく新しい生活をスタートすることができました。
今までの人生で子供は30歳までには一人欲しいと思っていましたが、結婚したのが29歳、前回の結婚生活のように妊娠に執着していてはいけないと思い、妊娠への想いを打ち消すようにしました。
そして、下記の4つの心を持ち、再婚生活を幸せなものするために日々努めるようにしていきました。
- 子供は授かりものと考え、過度な不妊治療は避け、ストレスなく暮らす。
- 夫婦で共通の趣味を見つけ、全力で楽しむ(子供が居るとできないことなど)
- 義理両親にも優しい気持ちで接する
- 子供ができたら、全力で可愛がり、全力で叱り、全力で守り通す
1.子供は授かりものと考え過度な不妊治療は避けストレスなく暮らす
本当に、これに尽きると思いました。
子供は授かりものです。
欲しいと思ってもできるものでもなく、神様が空から見ていてこの夫婦には赤子を授けてもよいだろうと思われて妊娠する。
赤ちゃんがこの人の子供になりたいと空からお母さんを探して、おなかに入ってくる。
色々ないわれがありますが、前の結婚生活ではただただ妊娠することに必死過ぎてストレスを抱え込んでいました。
ですので、2度目の結婚生活は、自然に任せて妊娠妊娠…とばかり焦らずに日々を大切に過ごすようにしていました。
毎朝の基礎体温を測るのも止めて、排卵日も気にせず、タイミングにとらわれることもしなくなりました。
結果として、それが功をそうじのか、再婚後1年半で妊娠することができました。
2.夫婦で共通の趣味を見つけ全力で楽しむ(子供が居るとできないことなど)
私も夫も共にディズニーリゾートが好きです。
夫は40歳を超えても子供の気持ちがあるのか、絶叫マシーンが大好きです。
私も夫ほどではありませんが嫌いな方ではありません。
妊娠すると妊娠時はもちろん、出産してからも絶叫マシーンに乗れないと思うと、妊娠する間の時間で思う存分絶叫マシーンを楽しもうと思い、ディズニーに行く回数を増やしました。
また、私も夫もお酒を飲むのが好き(出会った場所がショットバーですから)なので、私が妊娠してしまうとお酒を楽しむ時間が作れなくなると思い…
子供がいると出入りできないようなお洒落なショットバーや、静かな雰囲気のホテルのレストランなどによく行くようにもなりました。
また、夫婦ともどもカラオケが好きですので、金曜の夜はカラオケに行きお酒を飲みながら夜な夜なカラオケで歌ったりもしました。
年は1回り離れていますが、好きなものが似ているので、子供がいなくても心の底から楽しむことができていました。
3.義理両親にも優しい気持ちで接する

前回の結婚生活の時には、義理の両親の内孫への期待が大きくその期待に押しつぶされており、義理両親に優しくするという感情がだんだん薄れて行ってしまいました。
元義母には、いろいろ親切にしていただき感謝の気持ちはありますが、前出のような元義父でしたので私のほうから避けてしまったという実情でした。
現在の夫の両親は高齢なこともあり、孫への期待を持たれていない方でしたので内孫への執着というのもありませんでした。
顔を合わせては「孫はまだか?」と言う元義父とは対照的です。
私も、子供ができないのは自分の身体的なせいだとは自覚していましたので、その部分を指摘されずにすんだので、とても穏やかに過ごせました。
私も、義理両親のことは大好きですので、少しでもお役に立てることがあれば、と積極的に義理両親との交流をはかっていました。
なかなか妊娠できないので両者とも諦めていた時に、自然に授かることができた時、夫はもとより義父母とも大喜びで祝福してくださいました。
出産してからもいろいろ手助けてくださり、子供をかわいがってもくださるので子供たちはじいちゃんばあちゃんが大好きな子になっています。
4.子供ができたら全力で可愛がり、叱り、守り通す
29歳で再婚し、31歳の誕生日を迎える数日前に長女を出産しました。
若い頃に描いていた、30になる前に出産という夢は叶いませんでしたが、1年遅れて自分の子供を自分の腕に抱くことができました。
出産は未知の世界で本当に辛く、途中で投げ出したいと思ったほどでしたが、24時間近く戦って自分の体から生まれてくる赤ちゃんは、何ともいいようのないくらいに可愛く愛おしい生き物でした。
妊娠するまでの苦労を思い返し、また妊娠してからも切迫早産の危険性などもあり決して穏やかな妊娠生活ではありませんでしたので、この子は一人っこでと考え大切に大切に育てるようにしました。
はじめての育児で戸惑うこともありましたが全力で可愛がり、お世話をし、赤ちゃんに合わせた生活を楽しむようになりました。
幸いにも夫や義理両親の協力も最大限に得れましたので、家族みんなで娘に接することができました。
娘を通して夫婦仲も家族の団結力も強くなり、出産前よりも良い家族の雰囲気になりました。
そうこうしているうちに、娘が1歳2か月くらいの時に妊娠の兆候があり、婦人科に行くと、新たな生命が宿っていることがわかりました。
1人目を妊娠するまでに、数々の苦労や困難がありましたが、それが嘘のようにスルッと2人目を妊娠してしまったのです。
長女が2歳の誕生日を迎える前に次女を出産し、33歳で2児の母親となりました。
大変なことはありますが、家族のサポートを受けながら育児をしています。
「子供は目に入れても痛くない 」
とはよく言ったもので、本当に可愛くて仕方がないという感じです。
しかし、悪いことをした時は全力で叱り、二度と同じ過ちを犯さないようにしつけたりで、その部分は母親を6年間やっていても、未だに試行錯誤な状態です。
2歳になる前にお姉ちゃんになった長女は、今ではしっかりとした保育園の年長さんになり、今年の4月からはいよいよ小学校に入学します。
離婚から反省・改善したポイントまとめ

一度は離婚を経験し、自分の子供を産むことへも諦めていた私ですが、時間が経ち、また、パートナーを変えることで、平凡ですが、幸せな日常を手に入れることができました。
離婚は人生の汚点でもなく恥ずかしいことでもありません。
2016年の厚生省の統計にも出ていますが、婚姻している3組に1組が離婚した計算になっています。http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei16/dl/2016suikei.pdf
この厚生労働省のデータを踏まえて、身近な人を見てみても離婚歴があるというのでもさほど驚かない世の中になりました。
離婚を経験しても、なぜ、その結婚生活が長続きしなかったのかを考え、みえてきた欠点を踏まえて、次の恋愛・再婚に乗り出せば良いだけです。
男性も女性も、バツイチだからと、偏見を持たれる時代は終わったのです。
反省点を改善し、次の結婚生活にいかせばよいのです。
また、自分の身体的な理由から子供ができないと悩んでいる場合も、相手を変えたり精神的に自分を追い込まないようにすれば、自然と妊娠するかもしれません。
すべてはタイミングとパートナー次第といえるでしょう。幸せな未来が待っています。